今回は、8月27日にご報告いただく近藤祐介氏(学習院大学)のご専門や、これまでの研究内容などについてご紹介させていただきます。
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近藤祐介氏は、中世後期における修験道の組織化を、本山派に焦点を当てて解明した業績を蓄積している、注目の研究者です。その成果は多岐にわたりますが、聖護院門跡の人事や世俗権力との関係、門下の院家や在地山伏との関係を解明した研究、関東地方の山伏を取りまとめた幸手不動院、瀬戸内海交通にも関わった児島山伏の実像を解明した研究などが特筆されます。例えば、第24代熊野三山検校の道増が、天文年間に足利将軍の使節として各地を巡り、年行事補任状を発給して在地山伏の直接的掌握をはかった点を明らかにしたことなどは、修験道教団本山派の成立を考えるうえで極めて重要でしょう。
今回の発表「中世後期の熊野参詣と地域社会」では、中世後期に「衰退」するとされる熊野参詣を取り上げ、なぜ中世後期という時期に「衰退」していくのか、という問題を考えます。この分野に関しては新城常三氏の先駆的業績『社寺参詣の社会経済史的研究』(塙書房、1964年)がありますが、今回の報告ではこの新城氏の研究を踏まえつつ、地域社会と熊野先達に焦点を当てて、熊野参詣の「衰退」から見えてくる中世後期の地域社会について報告が行われる予定です。
修験道に関する研究は、実態解明という基礎作業が、おもに中世・近世を対象に、徐々に進みつつある状態です。複数の研究者が解明した事実関係を、どのように位置づけるか、議論が期待される分野です。
【主な論著】
・「戦国期関東における幸手不動院の台頭と鎌倉月輪院―後北条氏と古河公方の関係から―」『地方史研究』315、2005年
・「中世後期の東国社会における山伏の位置」『民衆史研究』77、2009年
・「聖護院門跡と「門下」―一五世紀を中心に―」『学習院大学文学部研究年報』57、2010年
・「修験道本山派における戦国期的構造の出現」『史学雑誌』119-4、2010年
・「後北条領国における聖護院門跡と山伏」池享編『室町戦国期の社会構造』吉川弘文館、2010年
・「室町期における備前国児島山伏の活動と瀬戸内水運」鐘江宏之・鶴間和幸編著『東アジア海をめぐる交流の歴史的展開』東方書店、 2010年
(文責:世話人ブログ担当)
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